36にしてやっと「ありがとう」という言葉の意味
36にしてやっと「ありがとう」という言葉の意味
香港は僕にとっての山籠もり、都会の中での山籠もり
すべてを0にして、この年でやっとはじめて見えた、
やっとはじめて意味がわかった気がする「ありがとう」という言葉。
この年まで、なんとこの年まで「ありがとう」の意味を知らなかったです。
文面ではありがとうといっているが、本当にありがとうなんて思ったことは、たぶん。
ありがとうと言ったほうがいいからと思って、
「こんにちは」、「さようなら」そんな感覚で、「ありがとう」といっていました。
何の心もこもっていなかったです。きっとそう。
今までの自分に、欠けている、決定的に欠けている、最も重要な要素。
「ありがとう」でも今やっとわかった、ありがとう!ありがとうがたりなかったです。
ありがとうが足りないよ。本当の意味での「ありがとう」
「おはよう」「こんにちは」そういった挨拶のような意味じゃない「ありがとう」
なんだか結局すべてを当然だと思っていて、私には「ありがとう」という心がたりなかったです。
文面ではありがとう、ありがとう言っているけど、心がまったくこもっていないという。
今までつきあっていただいた方々、すべての方へ、本当に申し訳なく思います。
やっとはじめて意味がわかった、この年での、遅すぎる「ありがとう」という言葉。
「~は当然」なんて思う、私』には間違いなく「ありがとう」なんて意味がわかっていない。
ありがとう、という言葉は世の中にあふれているけど、
本当の意味での「ありがとう」は使ったこともなかったし、
もしかしたたら、感じたこともなかったかもしれない。
やっぱり、すべてを0にして、何の縁もゆかりもない土地で、
一人考え、奮闘することが重要だ。
娘達や若者やこれからの何かに挑戦する人たち、年なども関係なく、
縁もゆかりもない土地へ自分の身をおいてみる、それがきっといい。
皆さんは、「ありがとう」の意味を知っているだろうけど、だけども、それでもきっといい。
そのような状況に自分をおいて、
久しぶりに家にでも帰ったら、当たり前のことも当たり前じゃなかったと、感じられるよ、ありがとう。