栗城さんの動画を見て 一歩について

栗城さんの動画を見て 一歩について



写真参照 栗城史多オフィシャルサイト

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この動画の中で、吹雪の朝の出発の際に

「本当はいきたくない」

といっているシーンがあるのですが、その台詞にたいするコメントに 

「行きたく無いなら山お辞めになったらよろしいのに」

というものがありました。

このコメント、そうこのコメント、まったくわかってないと思います。

人生で挑戦をことしたことないんじゃないかとも思います。何事に対しても。

「本当はいきたくない」という言葉、

「恐怖」というものはいつでもあるんだと思います。

竹内さんや山野井さんなど一流の山の方々のインタビューや動画、お話などを聞いてみても、

行く前は、恐怖などがあると言っています。

恐怖は大切で、これがないと生きて帰ってこれないとも言っています。

「難しいから面白い」

「歩いてどこまで上れるかためしてみたい」

「頂上に登る手前、そこだけ切り取ってしまったら消して楽しい訳じゃない、

 だけど、山全体で考えるとほんとに楽しい おりてきたらもうすぐいきたい、いきたい」

「楽に登った山は思い返しても一つもない」

より難しいほうがおもしろい」

「危ない遊びだけらこそ組み立てていくおもしろさがある」

もしかしかすると恐怖などない方もいるでしょう。

一部のアクロバティックなことに挑戦する方には、

人間としての資質の一つが欠けているということを、

ディスカバリーチャンネルか何かで見ました。

そのような方は本能で刺激を求めていくのでしょう。

ただ一般的な方は、おそらく、恐怖などを持って挑戦に挑むんだと思います。

あえて、自分の限界に。

本当に腹の立つコメントです。

また他の方々も、色々と否定的コメントが多いです。

否定的なコメントも別に悪くないと思います。

ただ、それも同じく、ではあなたは自分自身に挑戦してきたんでしょうか?

と感じます。

挑戦してる方、挑戦してきた方が言うのならば、まったく問題ないと思います。

ただ、一般的に、何もやらないで否定だけする人が多すぎる気がします。

私は、栗城さんを大変尊敬しています。

スポンサーとの関わり、テレビとの関わり、

色々と無酸素単独などのタイトルなどで、たたかれているところもあるのかもしれません。

でも、私はとっても尊敬してます。

『勇気とは、恐怖がないことではなく、恐怖よりも大切なものがあるという判断なのだ。』(アンブローズ・レッドムーン)